ダイヤの王様




 大晦日のターミナルステーション。
 私は一人、大勢の人が行き交うコンコースの片隅に立ち、悟(さとる)を待っている。
 
 改札の真上に掛かるデジタル時計は 20:03 と、電車が到着する時刻を示している。

 コートのポケットに手を入れ、感触を確かめた。彼との思い出そのものの、しわくちゃにされた切ない手触り。


 今年の3月、悟は東京の大学へと進学した。
 春まだ浅い、ひんやりとした空気に包まれる早朝に、この駅で、この場所から、私はそっと見送ったのだ。
 記憶に残るのは彼の横顔。拗ねたように目を伏せ、ひとり改札を抜けていった。名前を呼び、追いかけたくて、でも動けなかった。

 自信がなくて、嘘を吐いた。
 待てないと言ってしまった私は、後悔の気持ちを抱えながら、ひっそりと見送るのがせいいっぱいだった。

 幼馴染みの彼は、私より少しだけ背が高く、少しだけ成績の良い男の子。その少しの差で、距離にして300キロを隔てる街に行ってしまうと分かったのは、17の夏。
「合格すればね」
 明るく笑う彼を、そばで見つめていた。まだ遠い先の話だと、私も笑っていた。
「受かるといいね」
 なんて、お気楽に構えていた。

 本当に行ってしまうのだと実感が湧き、別れが怖くなったのは旅立ちの前日。
 もう遅すぎる、あの日だった。


「由香里(ゆかり)、トランプしようぜ」
 不意に訪ねてきた彼が、懐かしい小箱を私に見せた。
 子供の頃、マンガ雑誌の付録についてきた、トランプのカードだった。一緒に遊んで、角がすり切れるまで使い込んだ、54枚のカード。
「引越しの準備をしてたら、引き出しの奥から出てきたんだ。最後に、お前と勝負しようと思って」

 最後に――

 明日の朝、彼は旅立つのだ。ずきりと、胸が痛んだ。
 とうとう離れ離れになる。この気持ちを伝えることもせず、ただそばにいるだけだった18年が、胸に重く圧し掛かってきた。
「……いいね、勝負しよう」
 いつものように、二階の子供部屋に上がり、私達は向かい合った。

「ババヌキか、それとも七並べか」
 あぐらを掻いてカードを切る彼の仕種は、子供の頃と変わらない。
 でも、いつの間にか、子供部屋が狭く感じるほどの体格になっている。気付かぬ振りでいた、厳然たる事実。

 それでも私達は童心にかえり、数年ぶりの勝負をした。大声で笑い、文句を言い、夢中になって遊んだ。
 はずみで、カードを押さえる手と手が重なるまでは。
 彼はじっと、見つめてきた。真面目な顔で、大人びた瞳を揺らめかせて、告白したのだ。
「お前が好きだ」
 息が止まるかと思う瞬間、私は何も考えず、頭を振っていた。今頃になって、そんなことを言うなんて。

「今まで黙ってたのは謝る。受験勉強の邪魔になりたくなくて、言いそびれてた……自信も無くて」

 言わなくちゃ。
 私の気持ちも伝えなくちゃと考えながら、もう一度頭を振っていた。
「俺が嫌いか」
「違う!」
「それならどうして……」
 何も応えられない私をしばらく見守っていたが、やがて彼は言った。懸命に伝えようとする心が、声を震わせていた。
「待っていてほしい。4年後、俺が帰って来るまで」

 自信が無いのは私だった。
 彼から手を離し、その代わりにカードをぎゅっと握りしめた。
「待てない」
「どうして」
「待ちたくない!」
 きっと、無理。彼は東京に暮らし、私とは違う世界に馴染み、いずれ他の誰かを見つけるに違いない。傷付くのは嫌だった。

 とうとう彼は横を向いた。
 諦めたのか、怒ったのか、取り付く島のない頑なな横顔に後悔が過ぎるが、私は動けなかった。
「分かった、もういい」
 トランプを片付け始める彼を、呆然と見ていた。あっという間にカードを集める手際のよさは、子供の頃とは違う。大きな手は器用で、生真面目で、男のプライドが宿っている。
 何もかもが、遅すぎた。

 彼は子供部屋を出て行き、私は座り込んだまま、開放されたドアに絶望を見ていた。あまりにもあっけない、18年の幕切れだった。

 手の平に残されたのは、ダイヤのキング。プライドと寂しさと、言いようのない表情を宿した王様の横顔は、彼そのものだった。




「今夜の電車で帰って来るんだけど、誰も迎えに行けなくってねえ。由香里ちゃん、頼めるかしら」
 ご近所さんである彼の母親が突然訪ねて来たのは今日の午前中。
 短大が冬休みになり、家でゴロゴロするばかりの私に断る理由なんて無い。内心の動揺を必死に隠し、私は微笑んで快諾した。
 彼と私の家族には、あの日のことは何も話していない。二人は相変わらず仲良しで、気の合う幼馴染みだと、皆信じている。

 20:07
 デジタル表示から改札に目を移す。
 彼と同じ電車から降りたらしき乗客が、次々に出てくる。
 どきどきして倒れそうになりながらも、私は勇気をもって歩み出る。
 私が迎えに来るのを、彼は知っているはずだ。
 でも……

 あの日の、頑なな横顔を思い出す。
 無視されたらどうしよう。
 知らんぷりされたら。

 だけど、私は一歩一歩踏みしめながら改札の前に進んで行く。あの日、彼の勇気をないがしろにした自分への罰だった。どんな態度を取られてもいい。傷付いてもいい。
 彼を、見つけたかった。

 ダウンジャケットにデニム。肩には鞄ひとつ。見覚えのある、軽快な姿が現れた。
 背が高くなった? ううん、変わっていない。ちょっぴり逞しくなったのだ。
 彼は19になっている。私も、そうであるように。

 改札を出てくると、私を見た。
 すぐそこに待っているのを知っていたように、迷いもせずにまっすぐに近付いて来る。膝が震え、動けないでいる私の目の前に彼は立った。

「お、お帰りなさい」
 上擦る声に、怒った顔は反応せず、ぷいと横を向いた。
「悟(さとる)」
「……」
 ダイヤのキング。
 もう、許してくれないだろう。
 だけど、あの日の答えを伝えなくては。勇気を持って、怖がらないで。

 そうっと、ポケットから手を出す私に、彼の頬がぴくりと動く。
 ぎこちなく、こちらを見てくれた。
 冷たい私の手の平に、しわになったダイヤのキング。あの時のまま、ずっと握りしめている私の想いを差し出した。
「由香里」
 呟かれた名前に涙が出そう。彼の声は、あの時よりも低いトーンに変わっている。

「私、怖くて言えなかった。嘘を吐いたの、本当はね……」
 言いかけるのを遮るように、彼は無言で欠片を取り上げると、指で四方に引っ張り、しわを伸ばした。でもそれ以上は伸びないのを、私は知っている。
 アイロンをかけても、何をしても元には戻らなかった。

 もう、元には戻らない――

「どうしてくれるんだ」
 怒ったような言い方。だけど、彼らしく懐かしい口ぶりが上を向かせた。
「ババヌキの時、ジョーカーでないのがばれちまう」
「あ……」
 久しぶりの笑顔。
 変わっていない、大好きな微笑みが見下ろしていた。

「今夜は年越し勝負だな。付き合ってくれよ」
「えっ?」
 ジャケットのポケットをごそごそと探り、取り出したそれに、しわくちゃのカードを上から重ねた。
「うそ」
 あのトランプの箱だった。どうしてこんな、こんなことって。
「これでカードは揃ったな。あとは……」
「あっ」

 肩を抱き寄せ、囁いた。
 やっぱり少しだけ、彼は背が高くなっていた。
「あとは、返事を聞いて完成だ」
 ダイヤの王様が優しく笑う。

 温かく頼もしい腕の中、私はようやく答えを伝えた――



 <終>








※「ダイヤの王様」は、2011年に発行された東日本大震災チャリティ企画『One for All , All for One ……and We are the One 〜オンライン作家たちによるアンソロジー』(電子書籍パブ―チャリティ本/発起人・立花実咲様)へ寄稿した作品です。
※サイト掲載にあたり改稿しました。